鳥居崎通りをゆけば、微かに漂う潮の香り
2001年宇宙の旅と鳥居崎通り
むかーし、この通りの先には「木更津セントラル」という洋画専門の映画館があったはずだが、その場所がいまでは見当たらない。
通り沿いから奥まった場所にあったはずだが、そのような場所はいまではない。セントラルというボーリング場があったビルはあるが、それもいまでは閉鎖されている。そのなかに洋画専門館があったようだ。
当方の記憶も定かではないが、上記のようなビルの中ではなく、一軒の映画館として存在していたはずだ。そこで何回も映画を観た記憶がある。
「2001年宇宙の旅」「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 」などを、そこで観たはずである。ただし、残念ながらその確証はない。
2001年もとっくに過ぎて、思えば遠くに来たもんだとばかりに当方も年を重ねてしまった。おなじく、鳥居崎通りも幾年月の時代を経て、むかしの面影をいまに残すものが少なくなりつつあるようだ。
まず感じるのが、こんなに殺風景だったか、という思いである。八剱八幡神社前の通りは狭くて、車が通るたびに歩行者は危なくてしょうがない。
いまさらであるが、いかに車社会が進展したかを思い知る次第だ。
鳥居崎通りをそのまま真っ直ぐゆくと、海に出たはずだが、現在はそうはならないのか、何か様子が違ってるぞ、という思いにかられる。
しかし、真っ直ぐいけば見染の松がある鳥居崎海浜公園にでるようだ。
歌舞伎の演目のひとつ、「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」で与三郎がお富と出会い、一目惚れした場所だそうだ。
なんか様子が違うが、しょうがいない。時代が違うし、ながーい時間が流れた結果だから、と思うしかない。
そのようななかで、かろうじてむかしの面影を残すのが、かつての歓楽街の場所である。なんてたって、木更津は遊興の街という輝かしい歴史がある。
歓楽街の面影がいまに残る
やはり木更津は、むかしどおり遊興の街の面影をいまに残している。
これには、さすが(流石)というべきか、あにはからんや(意外)、というべきか迷う次第だ。たぶん、江戸時代から続く歴史性ゆえであろうと考えるが。
歓楽街というには、若干寂しいものが漂うが、それでもないよりはマシである。とにかく存在していることが重要である。
この辺りの近くには、かつては繁華街があり、歓楽街とセットでともに賑わいを見せていた。しかし、それも遠い、遠いむかしの話である。
繁華街は、壊滅的となっているが、歓楽街はかろうじて面目を保っている。繰り返すが、さすがである。きさらづの歴史を継承していると言っても過言ではない。
木更津温泉ホテル跡地は、マンションに
それはさておき、鳥居崎通りからほど近い場所に、長い間放置プレイされていた木更津温泉ホテルの跡地が再開発されるそうだ。
何がそこに開発されるかであるが、予想通りマンションだそうだ。西口で何かしら再開発の動きがあっても、どうせマンションしかないと思っていたが、その通りとなった。それでもないよりはマシか、この辺りは個人差があると思うが。
歓楽街にとっては、朗報かもしれない。マンションが10階建なら、少なくとも100世帯、約300人以上が新しく住民になると予想される。
そのうち何割かは新しい顧客となる可能性がある。知り合いを連れて来れば、そのまた知り合いという具合に、連鎖的に顧客の輪が広がるかもしれないぞ。
とりあえず、鳥居崎通りの歓楽街のご健闘をお祈りします。
八幡神社から鳥居崎通りをゆく
八幡神社は、いま本殿を新しく普請中だ。(修復かもしれない)敷地はあまり広くはないが、それでも歴史のある神社ということで意外と人が訪れている。
それにしても、神社前の道路が狭すぎる。神社の隣にある「多田屋」は、むかしからある本屋だ。アクアビルが建つ前は、駅前の同じ場所に多田屋の支店があったはずだ。ずいぶんと前であるから、何年頃かは覚えていない。
八幡神社近くの通り沿いにある美容室の脇にある街灯には、「木更津銀座」というサインが取り付けられている。どっからどこまでが木更津銀座なのか、それが不明である。また、どこからどう見ても銀座の面影はないに等しい。
いやはや、たぶんむかしの名残りなのだろうが、往年が偲ばれるというもんだ。
八幡神社のすぐ近くには、弁財天厳島神社というもうひとつの神社がある。造作はずいぶんと小さいが、意外と歴史があるようだ。
むかしながらの定食屋さん、その隣にはレトロ風味の建物が軒を連ねている。
もう少し先に行くと、夜の飲食店が目立って多くなる。要するに歓楽街が近い。
途中で脇道に入ると、千葉県で唯一残る見番がある。木更津芸者の稽古場である。
右奥に見えるのがセントラルボウル、閉鎖されている。往年の歓楽街「観月通り」の入り口が見える。
セントラルボウル、外観はまさに昭和レトロである。ライブハウスにでも活かせないか。ちなみに、5月末には全面板囲いされていた。写真のような様相は、もう見ることはないかもしれない。
看板も朽ちて剥がれたセントラルボウル。その近くにある静かに佇む和風建築が対照的だ。板ばりとしっくいの塀が落ち着いた雰囲気を醸し出している。
信号の先をさらに進むと、「見染の松」がある鳥居崎海浜公園へとでるが、今回はそこまでいきませんでした。あしからず。
とにかく、鳥居崎通りには人通りがなかった。平日ではあったが、土日でも変わらないだろう。ただし、歓楽街は夜ともなれば多少の人の行き来があるのかもしれない。時間がゆっくりと流れて、見方によれば非日常的であった。
冒頭写真:八幡神社前から見た鳥居崎通り
写真:cragycloud
撮影日:2018年5月
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以下、上の信号先を追加しました。
おまけ/木更津温泉ホテル跡地
長いこと空き地となっていた木更津温泉ホテル跡地が、ようやく再開発されるそうだ。ちなみにマンションが建てられるようである。
京都の町家を再生する
著者自身が経験した3年にわたる京町家再生の実践の記録。そこから見えてきた日本のまちづくりが抱える問題と、その解決方法を探る。
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