■界隈寫眞館|きさらづ界隈のストリートをゆく4 きさらづのメインストリート 富士見通りをゆく

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富士見通りは、いまでもメインストリートか

繁華街の名残りは、いまいずこへ

 今回取り上げる「富士見通り」は、かつては繁華街として木更津の商業中心地となっていた通りである。まぎれもなく、メインストリートだった。若い人はそれを知る由もないが、当方がヤングだった頃は賑わいのある通りだった。

 それから幾年月を経て、現在の閑散とした現状に至っている。その間に何があったのか、そこには興味深いものがあるが、今回はそれには触れません。

富士見通りは、駅前から港までを繋ぐ

 木更津駅西口(みなと口)前には、木更津港まで続く立派な道路と歩道がある。歩道の上にはアーケードが設えてあり、顧客のおもてなしも万全である。しかーし、肝心のお客様(人の姿)が見る影もない。

 当サイトは、きさらづの情報を伝える地域サイトであるが、地域に忖度するつもりはなく、ありのままをリアルに伝えることを目指しています。

 したがって、少々気分を害する人もいるかもしれません。あしからず。しかし、それが現実であり、問題を把握せずには未来は語れない、と考えています。

 それはさておき、今回の「界隈のストリートをゆく」は、満を持して「富士見通り」を取り上げます。なぜ、満を持したかといえば、富士見通りはきさらづのメインストリートであり、かつての繁華街だったからだ。当方の思い入れも強くある。

 界隈のストリートをテーマにするならば、真っ先に取り上げるべき題材である。しかし、なんとなく躊躇してしまった。なぜならば、実に失礼ながら写真映えする部分があまりに少なすぎると思ったからだ。

 流行りのインスタグラムでも、この場所で撮影して掲載するには少々勇気がいるに違いない。とにかく、女性のお洒落感に訴求する部分は皆無かもしれない。

 駅東口は、ワシントンホテルをはじめ少しだけ活気づきはじめている。それに対し、駅西口はなんの開発案件も、微動だにしないようだ。広い通り沿いには、大手量販店は一軒もない。わずかに駅前ビルにダイソーとコンビニがあるぐらいだ。

 ちなみに飲食店は、ちらほらと展開している。唯一それが救いである。

 いやはや、それが駅西口に広がる現実であるか。それにしても、繰り返すがそれにしてもであるが、立派に整備された道路と歩道があまりに利用されなさすぎだ。もったいないことおびただしいというしかない。

 この道路と歩道が活躍するのは、8月の花火大会や祭事、その他のイベントのときだけのようだ。かつての日常の賑わいは、もうそこにはない。

 この整備された環境(道路と歩道)を、活かす手立てはないものか、そのように思わざるをえない。とにかく、そんな現実を目の当たりにするばかりである。

シャッター街の裏にある現実問題


富士見ショッピングパークとある案内板

 シャッター街という言葉が、地方で定着してから随分と年数が経った。ちなみにその後、シャッター街が再生したという話は、あまり訊いたことがない。

 地方都市ではシャッター街に成す術もなく、とりあえず放置してどこかの誰かがうまい話を持ってくるのをひたすら待っている状況ではないか。万が一再開発があっても、それは商店街の再生ではなく、マンション用地であろうと想像する。

 当方は、現在の西口を訪れると、過ぎ去った遠い時代が走馬灯のように思い出されて仕方がない。あまりに違いすぎて、戸惑うばかりである。若い人は生まれたときから、現状通りであるから、西口にはとくに関心がないに違いない。

 現在きさらづでは、イオンモール、アウトレット、郊外型の量販店がたくさんあるから買い物には少しもこまらない。それが木更津のドーナツ化現象(中心の空洞化)に拍車をかけているのは言うまでもありません。

 ちなみに富士見通りは、いまでも商店街である。たとえその体になくとも、これからも商店街という矜持はぜひ貫き通してもらいたい、と個人的には思います。それは当事者には酷かもしれませんが、あくまで切なる願いです。

 もうすぐ夏になりますが、かつての繁華街当時(何十年前か)には、7月に七夕祭りがあり、その飾り付けが通りを埋め尽くしていました。当時は富士見通りにも商店がたくさんあったし、そしてまだ映画館も入場客で賑わっていた。

 そういえば、富士見通り沿いとその脇の通りにあった映画館は、すべて無くなりました。それもいっそう富士見通りの侘しさを助長しているかもしれません。イオンモールにシネコンができましたが、平日は閑古鳥が鳴いているとか。

 富士見通りが商店街として通用しなくなった要因は、ひとつではないと思います。大店法緩和後の大手量販店の進出や、車社会の進展、郊外開発の活発化、趣好の変化、などいくつかの要因が重なったことが原因と思われます。

 しかし、そのような外的要因よりも、内的要因の方が大きかったのではないでしょうか。内的要因とは、マーチャンダイジング(商品政策)の問題です。時代の流れに、変化に対応できなかったことが一番の要因ではないか、と想像します。

 アクセスが悪い、資本が少ない、駐車場がない、等々は、それほど問題ではない。いまでも活性化する武蔵小杉の商店街を見よ、である。

 武蔵小杉は後背地の人口増もあり、例外という意見もあるだろうが、少なくとも大手量販店に対応できてるだけでもたいしたもんである。

 個人的には、木更津港近くに環境を活かした複合施設(アトランティックシティのボードウォークみたいな)ができて、そこに至るまでの通り沿いにちらほらと商店が出来てくると、再び活性化しそうな予感がするがいかに。

 とにかく富士見通りが、近い未来にどうなるか、それはまだ誰にも判らないに違いない。個人的には、住宅地ではなく商店街として再び活性化してもらいたい。

 それが、かつての賑わいを知る一個人としての切なる願いです。

 最後に一言、商店街の再活性化は、いまの商店街が平場(横に広がる)で展開するドンキホーテ(例のディスカウントストア)になることだ。

 なんてことを思いましたが、違うかもしれません。あしからず。

きさらづのメインストリート 富士見通りをゆく


駅西口(みなと口)

 ご覧のように駅西口には立派な道路と歩道が広がっている。しかし、そこを歩く人が少なすぎる。左に見えるのは元そごうの建物(現スパークルシティ)。ダイソーとドトール、コンビニがある。この通りをまっすぐゆくと木更津港にでる。

 飲食店(居酒屋ほか)がちらほらとあるが、当然のように昼間は開いていない。


 お寺(光明寺)の隣にマンションがいつ建ったのか、当方は知らない。それどころか以前は何があったのか、それが思い出せない。いやはや。


昭和モダンを感じさせるビルの尖塔部分、なんとなくガンダムっぽいが違うか。

 アーケードも老朽化が見て取れる。近いうちには、修繕か、撤去かという二択を迫られそうだ。それはさておき、この鉄骨構造は角度を変えて見てみると案外魅力がある。


 「木更津おみやげセンター」という看板がある「かやの物産」は、大正12年に五反田から木更津に移住し魚屋を創業、戦後にお土産店となった老舗だそうだ。

 俺の焼肉がある。もう少し先に行くと夜の飲食店が多くなってくる。

 アーケードの隙間から見えるマンションと街並み、アーケードの鉄骨構造が意外と美しく、老朽化のさびも経年美として実に様になっている。


 歩道沿いには、港町を象徴する「いかり」を型どったモニュメントや、きさらづのキャラクター「たぬき」と思われる石が置かれていたりする。街として、この通りがきさらづを象徴することを物語っているようだ。

 これまた尖塔の形状がユニークな建物。どうやらキャバクラのような夜の飲食店があるようだ。

「宝屋」は、地元では有名な明治期に創業した老舗の料理屋さん。観光バスも立ち寄っているようだ。


「榮太棲」は、地元の老舗菓子店。壁面にたぬきの絵が大きく描かれている。

 あと少しで港の入り口となる。港に近くなると夜の飲食店が、かつての遊興の街としての存在感を示している。

 木更津港の案内があるバス停。信号のある交差点の先には海が広がっている。


 歩道沿いに軒を連ねたスナックやバーなどの夜の飲食店がある。

 富士見通りの終点(もう少し先かもしれない)、遠くには中之島大橋が見えている。

富士見通り近くにある、レトロ建築と老舗菓子店


「岡埜栄泉堂」大正7年(1918年)創業の老舗菓子店、ちなみに「金の鈴」というのが、銘菓らしいぞ。


「金田屋リヒトミューレ」昭和7年の建築、まさに昭和モダンをいまに残す。昔は洋品店だったようだが、現在はアンティークの販売や時計の修理などをするお店となっている。


「人参湯」千鳥破風の屋根が特徴の銭湯、ちなみに現在は営業はしていない。


「安室薬店」見事な看板建築がいまでも残る貴重な建物、広告やテレビの撮影などで使われているそうだ。

写真:cragycloud
撮影日:2018年4月
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写真の著作権はcragycloudに帰属します。

追記:
デジカメを買い替えました(とはいえ中古ですが)。新しいカメラは1600万画素となりました、以前のは僅か700万画素しかありませんでした。だいぶ絵的に違うように感じますが、たんなる気のせいでしょうか。

人があつまる―浜野安宏ストリート派宣言 界隈・生活地・棲息都市
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