■界隈寫眞館|きさらづ界隈のストリートをゆく2 田面通り 昔は商店街、いまは駐車場ばかり

田面通りの駐車場化がとまらない

商店街の面影はいずこに

 はじめに断っておきますが、今回掲載する写真はちっとも面白くありません。なぜそのような写真を掲載するかといえば、それは時代の記憶、または記録として残すことになんらかの意味があるかもしれない。

 そのように考えた次第です。市中心街の疲弊はいまに始まったことではなく、ずいぶん前から放置プレイさながらの様相となって現在に至っています。

 いったいどーすんだよ、という個人的な思いは然ることながら、多くの地元住民がその行く末に不安、疑問を抱えているのではないか、と考えるがいかに。

 田面通りは、木更津駅近くの踏切のある通りであり、新道(線路を跨ぐ道路)ができるまでは市中心街の東西をつなぐ唯一の通りだった。

 訊くところでは田面通りという名称は、いまでは使われていないようだ。現在は、たしか「さつき通り」とかいうらしい。

 当方の幼い頃は、この通りの両側には商店が軒を連ねていた。生活に必要な商品は、概ねこの通りで買うことができたはずだ。

 米屋、八百屋、肉屋、総菜屋、魚屋などの食料品店、家庭用品、金物屋、衣料品店などの日用品店、お菓子屋、パン屋、小さなスーパーなどもあった。さらには歯科、眼科、内科、接骨医、そして総合病院もあった。

商業構造に新しい波きたる

 その様相が変わり始めたのは、70年代頃からと思われる。高度経済成長もピークとなり、経済も下り坂に差し掛かっていく。そのような時代に登場したのが、スーパーマーケットである。ダイエーをはじめ全国津々浦々に出店を加速していった。

 木更津にも当然のように、大手スーパーチェーンが出店した。ダイエー、西友、ジャスコなどである。一時的には、それら大型商業施設のおかげで街は賑わいを見せたが、それほど時を経ずして小規模な店舗に影響が出始めていく。

 やがて田面通りには、閑古鳥が鳴くようになり人通りもまばらとなった。また車社会の進展に伴い、たんなる通過するだけの商店街となっていた。

 80年代には、すっかりその面影は変わっていた。どこの商店も元気は失せて、もはや諦めの境地となっていたようだ。打つ手もなく、ただ商店街が沈みゆくのをただ黙って眺めているだけという面影だった。

 そして90年代となると、なんとダイエーや西友という大手スーパーチェーンまでが、市中心街からいっせいに撤退しはじめた。残ったのはジャスコだけだった。

 ダイエーや西友が撤退したあとに残されたのは、すっかり廃れた商店街であった。そして、それは再生されることなく現在に続いている。

大手流通が撤退したあとには

 大手流通が、地域にもたらしたものは一体なんだったか。それは一時的な恩恵でしかなかったのか、と思わざるをえない。当然、企業である以上利益にならなければ、撤退もやむおえない。それは自明の理なりである。

 一方、そのダイエーも西友も、その後他社に吸収されてしまった。

 大手流通は、けっして地域に根を降ろすことはなく、あくまで収支次第でいつでも撤退していく。それは企業である以上、仕方がないといえる。

 問題は、地域がそこに依存しすぎる傾向が顕著なことだ。地元資本の小さな商店街を育成することなく、更地にコンクリ箱物の商業施設を造ることが、地域再生につながると勘違いしている。違うだろうか。

 長いスパンで考えると、いつまでもいると思うな大規模商業施設である。

 現在の木更津では、三井アウトレットとイオンモールという2大商業施設があるが、それらの大型施設も収支が合わなければ、当然撤退していくに違いない。

 少子高齢化、ネット消費拡大に伴い、ショッピングモールの閉鎖なども近い未来には顕著となってくるはずだ。アメリカではすでにそうなっているそうだ。

 木更津は、そのときまた同じ轍を踏むのか、ダイエーや西友、そしてそごうが撤退したときのようにである。廃れた商店街はそのままに、また懲りずに違う大規模商業施設でも誘致するのだろうか。

 いったい街の魅力とはなんだ、それが問われるのは間違いないだろう。

コンクリ箱ものでなく、面の展開を目指せ

 昨今、日本では好景気(6年続いているそうだ)といわれて久しいが、田面通りには、どこにもそのような面影はない。(コンビニは周辺に増えている)

 田面通りにルーツがある当方は、現在の住宅と駐車場だけの通りを見るにつけ残念でならない思いとなる。がしかし、時代は否も応もなく変化してゆく。

 ただし、その変化への対応が大規模商業施設頼みでは、いささか知恵がない。もし、大規模商業施設を箱物でなく、面で展開できたら、どんな街ができるか。

 面=平面、横に広げるという意である。具体的には、モールというクローズドではなく、街中にオープンに広がり展開していくのだ。

 新しい界隈を創る、そんな知恵もあってもいいのでないか、と思うがいかに。

 なお、それが無理難題であるのは、重々承知の上であるが…。

田面通り 昔は商店街、いまは駐車場ばかり


あさひや 地元ではヤンキー御用達といわれる有名な洋品店

 最近ではヤンキーは少なくなったが、その代わりにマイルドヤンキーが増えたので一定の需要はあるのだろう。

 一年ぐらい前だったろうか、AbemaTVの番組に木更津のアイドルが出演していて、そのときこの「あさひや」も出てきた。木更津のアイドルは、「あさひや」の服は地元民のマストアイテムになっている、と紹介していたぞ。

西口側から見た田面通り、この踏切の右方向すぐに駅がある。

ビジネスホテルは、稼働率がいいらしいぞ


最近サインを新調したビジネスホテル、いつも満室に近いといわれている。

 かつて商店街だった面影はもはや無いに等しい。営業している商店は極めて少ない。ビジネスホテルの隣には八百屋がいまでも営業を続けている。

 ビジネスホテルは、駅前にワシントンホテルができた。ビジネス需要はあるようだ。それと2020年の東京オリンピックへの高い期待もうかがえる。


かつての商店がいつの間にか姿を決して、空き地となり、そして駐車場となっていく。

最近現れた空き地と駐車場


この空き地の場所に何があったのか、それさえも思い出せない。いやはや。

 田面通りには、これ以外にも多くの駐車場があるが、なぜか駐車している車は多くない。とりあえず駐車場にするしか用途がないのか、それは知る由も無いが…。


真新しい駐車場には、やはり車が駐車していない。ここだけでなく、他の駐車場もこんな感じだ。

田面通りは、まだまだ続くよ


中古洋品店の入口扉にあるロゴサイン

 田面通りに唯一残る女性向け洋品店、中高年女性向けの中古衣料品を販売している。ここは以前は生活雑貨店、その前は菓子と日用品のお店だった。このロゴサインは、いったいだれが作ったんだろうか、だーれだろうかね。


 この辺りには、和菓子製造の「さわや」、上に掲載した洋品店、自転車屋、床屋、薬屋、和菓子屋、電気屋などがある。

 この先もまだ続きますが、とくに紹介すべきものがないので省きました、あしからず。

 ご覧いただいたように、とくに見るべきものがありません。ちなみに、この通りのすぐ近くには女子校があり、上で紹介した洋品店がまだ雑貨店だった頃(80年代中頃〜90年代)には、学生さんがよく来店していたそうである。

 しかし、それもずいぶんと前の話であり、そして時代はすぎて、田面通りにはすっかり人通りがなくなってしまった。

冒頭写真:三好屋 大福が有名な和菓子店

写真:cragucloud
撮影日:2018年3月
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商店街再生の罠:売りたいモノから、顧客がしたいコトへ (ちくま新書)

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