■基本情報|きさらづを探訪する2 歓楽街のいま…花街跡の名残が微かに香る

基本情報
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花街跡は、いまでも微かに艶かしい

花街跡の歓楽街は、まるで時が止まったように

 かつて木更津には、花街があったそうだ。江戸時代には、江戸方面から船に乗ってわざわざ客がやってきたといわれる。確かではないが、そのようにどこかで訊いた覚えがある。とにかく、賑わいの花街があったのは間違いない。

 当方が知る限り、それは海に近い場所だったと記憶にある。現在の木更津は、海が埋め立てられて情緒もくそもないが、昔々はさぞや情緒が感じられる場所だったに違いない。海が近く風光明媚な歓楽街として人気を集めたのだろう。

 木更津の花街の最盛期など知る由もないが、それでも微かに記憶にあるのは木更津温泉ホテル(いまはない)の周辺に広がっていた歓楽街である。

 大箱のクラブから、小さなスナック、旅館、その他飲食店が立ち並んでいた。いまではすっかり寂れ果てたが、高度経済成長期には賑わいを見せていたようだ。

 昔々花街のなかで遊郭があったのは、木更津温泉ホテル(もはや跡地)の向かい側辺りらしい。たぶん東映の映画館(これまた更地)があった裏辺りか。あまり詳しく知らないが、以前そのように訊いた覚えがある。

花街(はなまち)
芸者屋、遊女屋などが集まっている町。花柳街。いろまち。


花街跡(飲食街) 写真:CRAGYCLOUD

 木更津は、かつては漁業が栄えていたはずである。木更津港には漁船が多く停泊していて、それを子供の頃に写生した記憶がある。時は経ち現在では漁船の姿はすっかり消えて、汚い運搬船と、なぜか白いクルーザーが停泊している。

 千葉県と木更津市は、木更津の海を埋め立てて工業地帯にしようと考えた。漁業と農業、そして商業の街から工業の街へ、というわけだ。工業の街への転換は、人口が増えるという恩恵をもたらした。新日鉄やその関連企業のおかげである。

 1960年代の人口は約6万人だったが、1980年代には12万人という2倍にまで増えている。したがって、現在の人口構成(2017年、約13万人)では、昔からの住民は半分くらいしかいない。そして花街という歓楽街を知る人も少なくなった。

 木更津の花街が最盛期には、芸者さんも2百人ぐらいいたそうだ。しかし、現在では10人にも満たないとか。花街が廃れたのは、やはり風光明媚な海を失ったせいか。工業という金づるを手に入れて、その代わりに情緒を失ったせいか。

 情緒や叙情性というものは、実に儚いもんだというしかない。

歓楽街(かんらくがい)
歓楽街とは、昼間も活気があるイメージの「繁華街」という言葉に対し、夜間に営業されるスナックやバー、クラブなど、酒類の提供を主とする飲食店が集まる、夜の街を強調する意図をもって言い表すことが多い。


通り沿いには、蔦に覆われた建物が多く見られる
引用:https://blogs.yahoo.co.jp/yokozen2481/39835282.html

木更津・花街(歓楽街)の現在

 木更津の花街の現在はいかにーー。

 花街は、姿形は変われどもまだ健在のようだ。当然のようにかつての賑わいは望むべくもないが、それでも培った歴史性はそう簡単には無くならないようだ。

 かつての花街には、たぶん漁師さんや、地元の商店主などが繰り出していたのではないかと想像する。旅館が多くあったのは、その名残ではないか。

 料亭や旅館では、芸者さんを呼んでさぞ賑やかな宴会が行われたに違いない。

 料亭や旅館の多くは、海を失ったのと同時に客も失ったようで、いまではその姿はあまり見かけない、なかには廃墟になってそのまま残されている。

 一方、夜の飲食店は姿形を変えて残っている。さすがに大箱のクラブは消えているが、それでもクラブらしきものが何軒か営業をしている。

 さらに裏道を奥へといけば、かつての名残そのままに小さなスナックなどが、細い通り沿いに軒を連ねている。有名な(一部でだが)ルフランというお店がある場所周辺には、スナックが寄り添うようにして店を構えている。

 日中にそれらの店舗を見ると、営業してるのか判別しにくいが、意外と夜になると客がきているようだ。いったいどこから客はくるのか、それが気にかかるが。

 当方は、ルフランの近くにあるスナックに一度立ち寄ったことがある。

 いまどき、スナックってどうなんだ?と思ったが意外にもお客さんは多くて、そして楽しかった。あとで知ったが、最近はスナックがちょっとした復活ムードにあるらしい。その理由は、スナックが人と人の交流の場となっているからだ。

 あのホリエモンが、スナックでのコミュニケーションの魅力を熱く語っていたが、それには思わず納得した次第である。

 それはさておき、木更津の花街(歓楽街)は、今後どうなっていくかーー。

 少なくとも現状維持ができるかどうか、その瀬戸際にあるのではないかと想像する。街に彩りを添えるという意味では、花街は街に艶やかさを与えるに違いない。失われてから、その魅力に気づいてももう遅いのだ。

 現在、想像力を掻き立てれば、微かに艶めかしさを感じる花街であるが、できれば、もっと匂い立つほどに再生してほしい、と個人的には願います。

 それには、総合的にプロデュースする企画と実行力が求められるが、現在の歓楽街には、まとまり感がなく、面として再生する訴求力もないようだ。

 なお個人的には、かつての名残りが多少ありながら、且つ寂れてなんともいえない微妙な空気が流れる雰囲気も悪くはない、と感じています。しかし、それでは商売にならないのは言うまでもありませんが。


蔦に覆われた廃墟バー(営業はしていない) 写真:村田賢比古

逆転の発想、弱みを強みに

 一方で、そこを逆手にして客を呼ぶ、という方策も考えられます。端的にいえば、弱みを強みに変えることです。具体的には、一部の趣味・趣向性の強い人たちに向けて、その個性的な魅力をアピールしていきます。

 廃墟マニアや工場萌えのように、「木更津界隈・花街ツアー」を企画し参加者を募ります。そしてはとバスさながらに、木更津の栄華の跡を散策するのです。

<木更津界隈・花街ツアー>

・木更津港で海を見る……木更津港で海を見ながら、どうしようなく情緒性のない環境を嘆きつつ、なんともやるせない想いに浸ってもらいます。(寂しくなることほぼ間違いない)

・花街跡を巡る……それから、旧花街の路地から路地へと廻り、その現状に思わずため息をつき、遠い華やかな日々を想像してもらいます。(想像力が必要になります)

・廃墟を見学する……さらに、かつて賑わいを見せたであろう蔦の絡まる料亭の廃墟などを見物し、思わずこれは渋すぎると感嘆の声を上げてもらいます。(これは間違いない)

・スナックで乾杯……そして最後は、微かに艶やかさが残る歓楽街のスナックで一杯やりながら、いま見てきた木更津の旧花街をネタに参加者どうしの交流を図ります。(素敵なお姉さんとの会話、交流あり)

・オプション……現在数人といわれる芸者さんの芸を拝見し、さらにお話を訊くことができます。

・備考……スナックとタイアップが必要だが、御一人様5千円〜(参考価格)でどうか。

 という内容であるが、いかがでしょうか。

 そんなツアーのどこが面白いんだ、という人も多いと思いますが、共鳴共感する人も少なからずいる?と思うのですがいかにーー。

冒頭画像:矢那川沿いの風景
引用:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-93-96/yokozen2481/folder/893639/82/39835282/img_8_m?1496664423

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