■基本情報|きさらづを探訪する1 中心街の賑わいはいま何処へ

基本情報
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ここはどこ、駅前の静けさに身が震える

市中心街…駅、商店街、飲食街、学校

 はじめて木更津を訪れる人は、たいがいは駅前ロータリーに降り立つに違いない。公共交通の要であるJR木更津駅、そして高速バスの発着場所があるからだ。そこで訪問者は、びっくりすることほぼ間違いなしである。

 あれ、人がいないぞっと。ずいぶんと閑散としている光景にしばし唖然とするに違いない。しかし、高速バス(東京や横浜方面)は駅東口だ、まだましだ。駅西口にいってみたら開いた口が、しばらく閉じなくなること請け合いだ。

 駅東口は、郊外(かつては山)の宅地開発によって、多少発展したのでまだ人の行き来がある。しかし、西口は先はどん詰まりの海でもあり、発展から取り残された残骸しか残されていない。西口の広い歩道を人が歩く姿を見かけるのは稀だ。

駅前には、昔々そごうがあった

 しかし、そんな光景も木更津市民には、なんら不思議なことではなく、いつもの日常光景となってずんぶんと久しい。駅西口を降りて正面には、かつて百貨店が鎮座し威風堂々の姿を見せていた。

 それが「そごう」であった。百貨店チェーンのそごうは、バブル期には、しこたまの借金を元手にして、全国の駅近に百貨店を展開したことで有名だ。1988年3月、木更津そごうはオープンした。時はまさにバブル最盛期だった。

 その後、日本長期信用銀行の破綻(1998年)により、そごうグループに対する金融支援が行き詰まり、2000年7月木更津そごうもやむなく撤退した。バブル崩壊後、約10年をよく耐えたともいえるが。

 1997年、期待された東京湾横断道路「東京湾アクアライン」が開通したが、木更津を素通りするストロー現象が顕著となり、木更津に特需効果はまったくなかった。逆によりいっそう寂れて、中心街の駅前はシャッター化が進んだ。

ストロー現象とは
 交通網が整備されると、交通基盤の「口」に当たる市町村・地域に経済活動が集中し、「コップ」に当たる市町村・地域の経済活動が逆に衰える現象である。特に長く細い(=1本の)通り道「ストロー」だけで大量の移動が起き、途中の中継地に移動に伴う経済効果が、殆どないのを特徴とする。

 交通の利便性の悪さや所要時間の長さ、運賃の高さなどによる制約は、通勤・通学・買い物など日常行為には強く働くが、旅行などの非日常行為にとってはそれほどの重要性はない。

 このため、高速交通網などが整備され制約から開放されると、地元住民はより魅力的な商品や品揃えや娯楽を求め、より多く良い仕事を求め、より良い学校に通学するため域外に出る。


江川海岸
引用:http://www.sankei.com/photo/images/news/170826/sty1708260002-f1.jpg

そごう撤退から中心喪失、ドーナツ化へ

 そごうが撤退後、堰を切ったかのように変化が訪れる。そごうがテナントになっていた駅前の西口再開発ビル(アインスビル)を運営していた第三セクターも、キーテナントを失い翌年には倒産した。

 そして連鎖するように、駅東口に出店していたダイエーも2001年に閉店を余儀なくされた。西友はダイエーより早く1999年に撤退した。

 そごう、ダイエー、西友などの大型量販店が幹並み撤退したあと、駅前は一気にシャッター街化が進展し現在に至っている。駅前商店街は、バブル崩壊後のパラダイムシフトに抗うことがついにできなかった。

 そごうが撤退した駅前のビルは、その後アクア木更津となり、さらにスパークシティとなって現在に至っている。

 2009年から、アクアラインの通行料が800円(暫定、今後は未定)になり、車や高速バスでの首都圏への移動も便利さが増し、東京方面からの移住者が若干増加する傾向となった。しかし、駅前は相変わらずなんの変化もない。

最盛期は、37万人の商圏人口があった

 木更津市は、戦後の高度成長と共に成長し、最盛期には37万人の商圏人口を持つ商業都市となっていたが、その面影はいまではもう見る影もない。

 このような駅前の現状を見るにつけ、街再生の難しさをひしひしと感じるしかない。木更津駅前が、過去の栄光を取り戻す日がやってくるか否か、それにはとてつもない企画力と調整力、そして多額の費用がかかるに違いない。

 2020東京オリンピックまであと僅かであるが、多少なりともその恩恵に与れるか否か、それが問題だ。ワシントンホテルが駅前に2017年10月にオープンするが、やはりオリンピックを見込んだのか、それは知る由もないが。


引用:http://tamagazou.machinami.net/kisarazushigaichi.htm
木更津駅
 とくに特徴のない、日本のどこにでもある個性のない駅舎である。むかしはここを起点に商圏が広がっていた。しかし、それも遠い過去に消えた。朝と夕は、社会人と高校生の通勤通学で若干賑わっている。


引用:http://tamagazou.machinami.net/kisarazushigaichi.htm
駅前東口
 東口は、前述したように郊外の宅地開発の恩恵を受けて、多少発展をした。しかし、それもダイエー、西友などの大型量販店の撤退を機に勢いを無くしてしまった。最近、ワシントンホテルがオープンして期待がかかるが、ダイエー跡地は空洞のままだ。あれはどーすんのかね、と気にかかるが。


引用:http://tamagazou.machinami.net/kisarazushigaichi.htm
駅前西口
 西口は、いまさらであるが、そごう撤退後には一気に寂れてしまった。駅前商店街は、もはやその体を成していない。そごうがあったビルは、スパークシティと名前を変えた。ダイソー、ドトールなどが入っている。


引用:http://livedoor.blogimg.jp/flatkthanks-walk/imgs/d/b/dbcacc25-s.jpg
みまち通り(西口)
 みまち通りは、木更津最盛期を代表する商店街であった。細い道路沿いには商店が立ち並び、人が多く行き交う賑わいを見せていた。それもいまでは、信じられないほどに寂れ果ててしまった。もはや人はおろか、猫も通っていない。


引用:http://tamagazou.machinami.net/kisarazushigaichi.htm
ハミング通り(東口)
 東口から直近の場所に、飲食店が立ち並ぶ一角がある。お店の入れ替えはあるようだが、多少店舗数が増えたような気がする。賑わいとまではいかないが、これからはワシントンホテルの客などの来店が期待できそうである。


ポストモダン?な外観の小学校
引用:http://www.sowa-giken.co.jp/projects/assets_c/2014/10/6_manabu_25_25-thumb-autox436-161.jpg


小学校に隣接する中学校
引用:http://www.kisarazu1-j.ed.jp/top/topgazou.JPG
木更津第一小学校と中学校
 駅からほど近いところにあるのが、木更津第一小学校と中学校である。駅近にもかかわらず、環境はなかなかいい。土のグランドがあり、校舎もシャレオツである。ところが、最近では学生の数がとても少ないそうだ。

 ただでさえ少子高齢化であるのに、中心街には住民が少ないからだ。一方、かつて山だった郊外では、子供の数が増えて学校も新設されたと訊く。ちなみに当方は、この第一小学校と中学校の卒業生である。

 あれから、幾年月を経たことかーー。感慨無量としか言いようがない。

<追記>
 言うまでもなく、木更津には駅前だけでなく、郊外もある。いまでは郊外の方が宅地開発その他の動きが顕著であり、人口も増えて発展の余地もある。

 しかし、個人的にはあまりそこに興味がない。郊外はどこの地方に行ってもおなじであり、幹線道路にはナショナルチェーンが軒を揃えて店を構えている。広い駐車場が、微かな情緒性でさえも、いとも簡単に合理性に変えてしまった。

 木更津郊外には、山を崩して開発した街並みが広がっている。しかし、そこは埼玉でも茨城でも、神奈川の田舎でも変わらない。その風景はとてもよく似ている。

 当方の親戚が江川地区(アウトレットのすぐ近く)にいる。かつては田んぼと鬱蒼とした樹木に囲われていたが、いまでは広い産業道路がつくられて再開発が進行中である。田んぼも少なくなり、樹木もまたおなじく。

 駅前を核とした中心街は、どんよりとした空域感が漂ったまま行き場がなくなっている様子だ。しかし、そこがなんと言えない雰囲気がして、かえって興味が掻き立てられる。端的にいえば、人気のない奇妙な光景に魅力を感じる次第だ。

 あくまで個人的見解であり、相違のある方は多いと思います、あしからず。

冒頭動画:なかの綾/黄昏のビギン(「ずるいひと」収録曲)
現役(2013年時)ホステス、なかの綾のカヴァー・アルバム。全ての日本人の情緒にうったえる演歌、ムード歌謡の名曲たちを、現代解釈でJAZZ、LATIN等のルーツ・ミュージックにアレンジした、“大人の男と女に必要なカヴァー・アルバム”。
ずるいひと

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