■コラム|遠い日の記憶が蘇り、忘れていたあの人の顔がそこにある

きさらづにて、遠い日の花火が思い出される

数十年ぶりのきさらづデビュー!

 早いもので気がつけば、もう12月となり巷では忘年会のシーズンである。ちなみに当方も、先日久しぶりに地元の忘年会に誘われて出席してきました。

 忘年会が行われた飲食店は、「田園」というすき焼き、和食のお店でした。木更津港近くにあり、昔栄えた歓楽街の一角といえる場所にある。木更津では老舗の料理屋さんだそうだ。(昭和26年創業)

 当方ははじめてであり、11月初旬にこの辺りを散策し界隈写真を撮ったが、どうやら見過ごしていたようだった。

 当方は、これまで地元の忘年会や同窓会に出席してこなかった。したがって、久しぶりどころか数十年ぶりに逢う人たちばかりだった。なんてことだ。

遠い日の記憶はいずこへ
 そんな訳で、名前と顔がいまいち一致しない、なんとか微かな記憶をたどってみるが思い出せない。ちょっと焦りながら、自分の記憶の不確かさを情けなく思うばかりだった。同窓のみなさんその節は大変失礼しました、あしからず。

 それでも、少しづつ記憶は蘇り、遠い彼方に消えた日々が思い出されてきた。

 数十年ぶりであるから、自分のことなど忘れているだろうと思っていたが、あにはからんや、意外にも覚えていてくれる人が多くいたことに驚いた。それはうれしくもあり、一方では自分の記憶が定かでないことが恥ずかしくもあった。

 思えば当方は、地元である木更津になんの未練もなく都会に出ていった。当時(10代後半)は、「こんなところに居てたまるか、東京さいくっぺ」という思いに駆られていた。とにもかくにも、都会に出たいという一念しかなかった。

 若気のいたり、といえばそれまでであるが、なにしろ時代の中心はトウキョウにあり、しかも、そこはすぐそばにあったからだ。

 その頃の年齢は十代後半であり、確固たる目標や目的は何もなかった。身の程知らず、怖いもの知らず、まさに青春そのものだった。

 そして木更津には、前述したようになんの未練もなかった。いやはや。

 時が経つのは早いもので、それから数十年が経った。当方は、もしかしたら薄情なのか、そのあいだ木更津を思い出すことはあまりなかった。

 時代はどんどん変わっていき、あるときはバブルに浮かれたり、またその崩壊に沈んだり、という浮世の荒波をこえて幾年月が過ぎていった。

 そして、さらに時は過ぎて……いまここにいる。

 それはさておき、忘年会にお集まりになったみなさんは、当然おじさん、おばさんばかりだった。男性陣たちは、いずれも頭髪が薄くなり、似たり寄ったりの容姿だったが、なぜか女性陣は意外と若く見えた。(お世辞ではないですよ)

 それはなぜだろうか、実に不思議だった。その一方、おっさんたちは頭髪は薄くなったが、その反面?で人間味が濃くなっていたように感じた。

 とにかく、久しぶりに会った同窓のみなさんがお元気そうでなによりでした。

 また、いつの日かお会いしましょう!、それまでお元気で。

人間味とは
温かみのある人柄。人情味。「―のある人」


昭和26年創業、きさらづの老舗料理屋「田園」
所在地: 〒292-0831 千葉県木更津市富士見2丁目3−31

すき焼き、しゃぶしゃぶ、和食「田園」のウェブサイト

遠い日を思い出すのは、けっして悪くはない

恋は、遠い日の花火ではないーー。

 …という90年代のサントリーオールドのコマーシャルの名コピーが、時を経て年を重ねたいまになって身に染みるようになってきた。

 若いときは、遠い日になんか想いを馳せることなんてちっともなかったが…。とにかく遠く過ぎ去った日々のことより、そこにある現在のことしか頭になかった。

 しかし、最近では過ぎた時代の経験や、記憶の数々が貴重であるように思われてきた。なぜなら、それは生きた証であり、アイデンティティそのものであるからだ。それを疎かにしては、生きてきた価値がないに等しい。

 SF映画の金字塔「ブレードランナー」のレプリカント(アンドロイド)たちは、自分の記憶(インプットされた)を大事にしていた。それは、限られたイノチ(僅か4年)しか与えられていなかったからだ。

 経年した記憶の積み重ねは、侘びとか、寂びとかに通じるものがあるだろう。経年美といわれるものがあるが、それは年月を重ねるほど美しさが増すことだ。できれば、できればであるが、そのようになりたいものだ。

 あと幾年の残りがあるか、それは判らないが、とにかく残り少ないことだけは確かだと思う年齢になった。もういくつ寝るとお正月〜という歌があるが、できればお正月を先延ばしにしたい、と願う昨今である。

<記憶を辿る…幼少期、思春期、青春期>

ー幼少期ー
家の近くにある女子校に隣接した保育園に通っていた。ほとんど記憶にないが、微かに覚えているのは、女子高生の逞しい太腿がまぶしかったことだ。おなじ敷地だったから、生徒たちの部活の様子を見ていたからだ。

ー小学校ー
家から徒歩7〜8分の木更津駅にほど近い小学校に通っていた。鼻垂らしのどこにでもいる小学生だった。当然、勉強は好きではなかった。

記憶に残すような出来事がなかったのか、あまり覚えていない。

ー中学校ー
小学校の向かいにある中学校に通っていた。したがって、同級生は小学校とほとんどおなじだった。異性に目覚める時期であり、当方もまた目覚めました。音楽に興味を持ち、ギターを弾き始める。

ー高校〜10代後半ー
南房総のとある高校に通っていた。将来のことなどなーんも考えてないアホな高校生だった。カッコばかりつけた一見不良風を装っていた。

バンドを結成したが、長続きせず中途半端に終わる。異性交遊に興味はあるが、それもままならず、また将来への不安からモヤモヤとした時期を過ごした。当然のように勉強はしていなかった。

一言でいえば、アホなことばかり、なんの実りもなかった時期だった。しかし、いま顧みれば、それこそが貴重な時間だった。当たり前であるが、人生に二度はないからだ。

 そんな訳で、久しぶりに同窓のみなさんとお逢いし、いっときの癒しの時間を共有したせいか、普段あまり考えないことが思い出されてきました。

 それによって、当方は昔のことはとにかく消し去りたい、と常日頃考えていたことが改めて判りました。いやはや、というしかない。

冒頭写真:木更津港と市街 撮影/村田賢比古

<追記>
 忘年会の終了後、木更津港近くの通りを歩いていると、キャバクラかクラブの前で声を掛けられました。「どうですかー、寄っていきませんかー」と、お店の前だからキャッチではなくスタッフと思われた。

 木更津港近くは、かつては歓楽街として栄えていた。その残滓がまだ微かにあるようだった。歓楽街にめくじらを立てる人もいるが、街の営みには欠かせない要素のひとつであると感じるがいかに。


通りの向こうに見えるのが、声を掛けられたクラブ?

地域再生の失敗学
●「人口減」前提のプランを立てよ
●ゆるキャラとB級グルメは無駄
●「活性化か消滅か」ではない選択肢を
●ここにしかない魅力を徹底的に磨け!

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